はじめてディーン・フジオカさんの名前を目にしたとき、「どこの国の人かな?」と思いませんでしたか?見た目は日本人ですが名前は日本人ぽくない…。しかし今ではほとんどの人が、さまざまな分野で活躍されているディーンさんを「日本生まれの日本人」と知っていることでしょう。
そんなディーンさんは語学が堪能なことでも知られています。日本語のほかに英語、北京語、広東語、インドネシア語がしゃべれるそうです。今回はそんなディーン・フジオカさんの語学勉強法についてです。
◆ディーン・フジオカさんプロフィール
1980年8月19日生まれ
福島県出身
千葉県立船橋高校卒
Seattle Central College卒
俳優・タレント
ミュージシャン
モデル
シアトルの学校を卒業後にアジアを放浪。
2004年 香港のクラブでスカウトされたのを機にモデルとして活動を始める。
2005年 映画「八月の物語」の主演に抜擢され、俳優デビュー。
2006年 台北へ拠点を移しドラマ・映画・TVCFに出演。
2009年 音楽制作の拠点をジャカルタに置き、2011年から日本での活動も開始。
2015年度下半期のNHK朝の連続テレビ小説 『あさが来た』 出演し、一躍人気に。拠点を日本に移しアジア各国を含め活躍の場を広げている。
◇出演作
映画:
2005 8月の物語(香港)
2013 I am ICHIHASHI 逮捕されるまで(監督・出演)
2018 空飛ぶタイヤ
2019 記憶にございません 2022 鋼の錬金術師
ドラマ:
2022 パンドラの果実~科学犯罪捜査ファイル~
2021 青天をつけ衝け
2020 危険なビーナス
2019 シャーロック 2017 今からあなたを脅迫します
ディーン・フジオカさんの英語力は?
「語学が堪能な芸能人は?」「実は英語力が高い芸能人!」など、ネット上には語学が堪能な芸能人の記事が多くあります。そしてディーンさんもその多くに名前があがっている人のうちの一人です。
では実際に動画で見てみましょう。 2018年の外国人記者クラブでの映画「海を駆ける」の記者会見時の様子です。
とても余裕があるように見えますね。
ディーン・フジオカさんはなぜ英語がしゃべれるの?
ディーンさんの本名は藤岡竜雄さん。ではなぜ「ディーン」なの?と思いますよね。それは留学した時にホームステイ先のお父さんから「ディーン」と呼ばれていたからだそう。確かに英語圏の人にとっては「Tatsuo」は発音しにくいですよね。
ディーンさんがなぜ英語がしゃべれるか、そうです。ディーンさんは留学されていた経験があり、英語が堪能なのですね。留学先はアメリカのシアトルでした。
シアトルの日本語情報サイト、Jungle CITY.comに2015年に掲載されたインタビュー記事ではこのように話していました。
「実は、中学生くらいからずっと、海外に行きたいという気持ちが強かったんです。父親が商社勤めで海外を飛び回っていたので、その影響もあったと思います。でも、「高校を出るまでは日本にいなさい」と、留学に反対されてしまって。音楽やバンド活動があったから、なんとか高校生活を乗り切れたように思います。」
海外へのあこがれはお父さんの仕事からだったのですね。でもそのお父さんが高校までは日本にいなさいとおっしゃったとあります。もしかしたらお父さんは、「まずは日本のことをもっと学んでから海外に行きなさい」という意味も込めて高校までは日本でと言ったのかもしれないですね。
留学した人なら分かるかもしれませんが、「日本はどんな国なのか」をよく知っておかなければ海外で日本について質問されたときにきちんと答えられません。「留学中に日本について学んだ」なんて聞くこともありますよ。
そんなディーンさんのお父さんですが、留学は高校卒業まで許してくれなかったものの、普段の生活で外国語に興味を持つようにしてくれていたようです。
「父は時々、何気なく外国語を教えてくれました。例えば、父と一緒にお風呂に入って「あと10数えたら上がっていいよ」というときの数え方が中国語だったり。アメリカ出張のお土産に、英語のレーザーディスクを買ってきてくれたこともありました。『オズの魔法使い』やディズニーアニメ、『ジーザス・クライスト=スーパースター』など、振り返ってみれば、父なりにいいと思ったものを選んでくれていたんだと思います。当時は子どもだったので、「ちょっと面倒だな」なんて思っていましたが(笑)。」
子どもは何をきっかけに物事に興味を持つか分かりませんよね。それに机に向かって教科書を開いての勉強より、何気ない普段の生活に外国語を取り入れてもらえた方が楽しく学べますね。
ディーン・フジオカさんは、学校以外で英語力をつけた?
県内きっての進学校である千葉県立船橋高校を卒業し、念願だった留学を決めたディーンさんは、当時世界の最先端だと思った国、大好きだったロックバンドのニルヴァーナやメタリカの国、アメリカを留学先に決めました。
半年間のESLクラスを終了したのち、シアトルのカレッジで専攻したのはIT。Jungle CITY.comのインタビューでは専攻を決めた理由をこのようにお話しされていました。
「父親が携わっていた分野が電機系で、子供の頃からパソコンやインターネットの変遷を目の当たりにしてきたので、ITには強い関心を持っていました。それに、ITの知識を得れば、いずれは自分で会社を興すこともできるような気がして。自分が自分の雇い主になることに、あこがれがあったんです。」
学校ではITの勉強をしながら、実は学校の外で多くのことを学び人脈を広げたそうです。エンターテイメントが身近にあったシアトルではさまざまなクラブイベントが行われ、週末にはホームパーティーも。ディーンさんはそれらに積極的に参加していたそうです。
そこで出会った人たちからまた知り合いが増え、人種は関係なく共通の興味を通じてどんどん人脈が広がったとインタビューで話していました。 校外での出会いによって英語力が磨かれていったのでしょうね。
ディーン・フジオカさんの語彙力を育てたのはSiri?
そしてもう一つ、ディーンさんの英語力アップを手伝ったものがあります。それは「Siri」。
「Siri」とはみなさんご存じのiPhone4S以降に内蔵された音声認識・バーチャルアシスタントアプリです。「Hey Siri」と端末に呼びかけたあとで、やって欲しいことや知りたい疑問を聞くことができます。 ディーンさんはこの機能を多用し、分からない単語があればすぐに調べていたそうです。語彙が増えると会話も楽しくなりますよね。簡単なようで後回しにしてしまいがちなこれが、英語力アップには大切なことです。(分かってはいるけれどなかなか難しいですよね!)
ディーン・フジオカさんはミュージシャンとしてもすごい!
お母さんがピアノの教師をしていたとのことで、生活には音楽があふれ、家にも様々な楽器があったそうです。そのため音楽にもとても興味のあったディーンさんは2008年から本格的に音楽活動をはじめます。
卒業後は、アメリカに永住するつもりだったディーンさんですが、9・11テロ事件の影響もあったせいか就労ビザの申請が却下されてしまいました。そのためバックパッカーとなりアジアを放浪することに!日本に帰らないところがすごいですよね。
結局香港でラップを披露していた時にスカウトの目に留まりモデルとしてデビュー。お芝居もするようになって広東語も習得。その後台湾を活動拠点にしていましたが、インドネシアのジャカルタに移ったタイミングで一緒に音楽活動をしてくれる人を探したそうです。アジア各国での生活を通して、いつかアジアツアーをしたいと準備していたのですね。
初めてのアジアツアーの上海公演の様子を追った動画があります。流暢な中国語も披露しています!
ミュージシャンで活動され、英語も中国語も堪能なディーンさんだからできる歌詞に感動する人も多いようです。こんなツイートをする人も。
なんでも器用にこなしてしまうディーンさんの今後の活躍も楽しみですね!